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 岡本豊彦は江戸時代の末期に、松村呉春に絵を学び、呉春亡き後、四條派の隆盛に大きく貢献した。
 その流れを汲む画家達は現代日本画壇の中心的な位置を占めている。

 岡本豊彦は、備中國窪屋郡水江村の人で、京都に出て四條通東洞院に住し、呉春に就て畫法を學び、山水花鳥人物畫を善くしたが、殊に山水畫に長じ、墨氣の秀潤、布局の温健をもつて賞せられ、文政天保年間に於ける平安畫宗の第一流として景文と並び稱せられた。その門に柴田是眞、田中日華、鹽川文麟、熊谷直彦を始め、幾多の名工を輩出した。世にこれを岡本派と稱した。

これは、昭和6年に発行された”日本画大成” 14 四條派の豊彦に関する飯塚米雨氏の解説である。



 私が子供の頃に祖父母から聞いた豊彦のイメージは, 苗字帯刀を許された高名な、御所のお抱えの絵師だったというものだ。しかし、大きくなった私は、教科書にも、美術書にも名前の出てこないご先祖様の事を祖父母の身贔屓からの話で、世間ではそんなに高い評価をしている画家では無いと思っていた。

 平成8年か9年頃、ボストンに住む叔母から国際電話があり、豊彦の絵がボストン美術館に展示されている事を一寸興奮した様子で知らせてくれた。豊彦を無名だと思っていた彼女にとってもボストン美術館での豊彦作品の展示は驚きだったのだろう。
 この知らせを聞いて私はその頃、始めたホームページで、この先祖の事を書いてみようと思い立った。

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平成12年(2000)



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