岡本豊彦・四条派 関連用語一覧

人名

四条派

岡本亮彦(おかもとすけひこ)
豊彦の養子。文政18年(1835年)7月21日、尾張国知多郡半田郷士小栗又七の家に生まれる。名は「澄」、通称は「司馬」、字は「士朗」、号は「畔生」または「暁翠」。明治16年(1883年)11月18日、金沢旅行中没。61歳。


松村呉春(まつむらごしゅん) [詳細
豊彦の師であり四条派の開祖。


松村景文(まつむらけいぶん)
松村呉春の弟。呉春に師事し、花鳥画を得意とした。豊彦にとっては兄弟子にあたる。天保十四年(1843年)四月二十六日死


柴田義薫


塩川文麟(しおかわぶんりん)
文化5年(1808年)京都洛東に生まれる。字は士温、号は泉声舎斎。明治10年(1877年)5月11日没


幸野楳嶺(こうのばいれい)


竹内栖鳳(たけうちせいほう)
楳嶺の弟子。第1回文化勲章受章者。


柴田是真(しばたぜしん)
豊彦の弟子。




四条派以外の画家

与謝蕪村


円山応挙(圓山應擧・まるやまおうきょ)


鈴木南嶺


池大雅 (いけたいが)


福原五岳 (ふくはらごがく)
名は元素、字は大初、雅号は五岳の他に玉峰、楽聖堂などがある。尾道の人で、池大雅に師事し、人物画を得意とした。豊彦の青年時代の師でもある。


黒田綾山 (くろだりょうざん)
豊彦の幼少期の師。福原五岳に師事し、人物画を得意とする。








その他

古市大円


羽倉信
寛政十一年(1779年)〜明治二十年(1887年)。篆刻家、画家。名は良信、字は子文、号は可亭。
山城伏見稲荷の社司の家に生る。職を辞し江戸に上り、四方を漫遊。家業は村瀬栲亭、画と篆刻を僧月峰に後画法を岡本豊彦、篆刻を細川林村に学び、宮内省の御璽、諸親王特に有栖川親王の御章を刻す。(井上雄風編「続 拓本収覧 吉備と周辺の碑」より)